
日本では、食事の前に必ず「いただきます」と言う。この小さな言葉にはたくさんの意味合いがある。食事を作ってくれた人から料理をいただく、神から恵みをいただく、そして何よりも、犠牲となった動物や植物の命をいただく、ということだ。
食事のたびに、私たちは他の生き物の命をもらう。ある生き物が生きるためには、他の生き物が死なければならない。食事は犠牲の上に成り立つ。
刺身ほど「いただきます」がふさわしい料理はないと思う。カウンターに座って、板前さんが魚をさばくのを見る。隣の水槽でそれと同じ魚が泳いでいる。牛や豚、鶏とは違って、刺身は魚をさばいてすぐに食べる。そして焼いていないので、魚の命と自分の命がダイレクトにつながっていると感じる。
江戸時代後期、私の東京の住まいから遠くない両国で、握り寿司・江戸前寿司と呼ばれる料理が開発された。酢を混ぜたご飯を握った上に下ごしらえした魚を載せた江戸前寿司はその作り方の速さで人気になった。それまでの寿司は長く発酵させる過程が必要だったが、江戸前寿司はファストフードだった。今日、酢飯、生の魚、わさびというシンプルな材料で作られる江戸前寿司は日本だけでなく海外でも食べられるようになっている。
江戸前寿司を食べる時、私たちのために十字架で死んだ救い主イエスを思い出す。食べ物となった魚は私たちのために犠牲となったイエスご自身。酢は十字架に架けられたイエスに与えられた酢。わさびは十字架の鋭い苦しみ。江戸前寿司は食べる福音だ。
「いただきます。」
私は神の美しいいけにえを思いながら、感謝してそれを味わう。