浅草寺

April 6, 2026 - Roger W. Lowther

東京の自宅から隅田川沿いをジョギングすると、30分ほどで東京で一番古いお寺である浅草寺に着く。伝説によると628年に二人の漁師が隅田川で観音仏の小さな黄金の像を見つけた。彼らが何度川に像を返そうとしても、観音は魚網に再びかかる。彼らは観音が去らないことが分かって、645年に隅田川沿いにこの像のためにお寺を建てた。

今日浅草を歩くと、観音像までの道を示す標識がたくさんある。観音は「音を観る」という意味だ。音楽家である私にとって、この言葉はとても興味深い。

東京国立博物館で私は様々な観音像を見た。千の目、千の腕、11の頭を持つものもある。それは世界中の苦しみや悲しみを見、救うことを意味しているそうだ。観音は情け深く、すべての人間が生と死のサイクルから救われるように願っていると言われている。

250年間のクリスチャン迫害の間、隠れキリシタンは観音のイメージを使って密かに聖書の神を賛美した。小さな赤ちゃんを抱く聖なる母親として描かれている観音に、赤ちゃんイエスを抱えている聖母マリアを重ねた。これらは「マリア観音」と呼ばれ、たいてい像の土台部分または裏に十字架が密かに刻まれている。隠れキリシタンは、観音像のイメージとコンセプトを用いて、イエスを表現した。すべてを見ておられるイエスは、私たちの苦しみと痛みを観ている。情け深い方であるイエスは、人々に救いをもたらすために力のある手を伸ばす。

「主の目は正しい人たちの上にあり、主の耳は彼らの叫びに傾けられる。…苦しむ者が叫ぶと主は聞かれ、そのすべての苦難から救い出してくださる。主の心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」(詩篇34:15, 17–18)

川の中で見つかった観音像が漁師から去らなかったように、イエスは私たちから離れない。いつも私たちを呼んでくださる。

「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたいている。」(黙示録3:20)

「ゴスペル」という語が、文字通りの「良い知らせ」ではなく、「福音」すなわち「祝福された音」と翻訳されたのは、偶然ではないかもしれない。それはもとのギリシャ語により近い。私たちの哀しみの声を聞く神は「祝福された音」を与えてくださる。大いなる救い主イエスは、私たちの重荷を担い、 痛みを感じ、苦しみを味わい、福音の希望を与えてくださる。そして私たちは喜びの声をあげる。

「幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。主よ、彼らはあなたの御顔の光の中を歩みます。」(詩篇89:15)

『隠れた美〜日本で神を見出す』抜粋 ロジャー・W・ラウザー

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