イーゼンハイム祭壇画

April 10, 2020Roger W. Lowther

イーゼンハイム祭壇画(1515)グリューネヴァルト

マティアス・グリューネヴァルトの『イーゼンハイム祭壇画』は、フランス東部の町、イーゼンハイムにある治療院の中のチャペル前方に置かれている。小さな部屋のサイズと比較すると大きく、人物は等身大に描かれている。額縁は、天井に届きそうなほどだ。この絵は、観衆の視線が他の何ものでもなく、十字架につけられたイエス・キリストのみに集中するように描かれている。

イエス・キリストの痩せ衰えた体は傷だらけで、指先は苦痛によりねじ曲がっている。唇は死んだように青く、溢れ出した血は脇を伝い、つま先へと流れている。

左側にはマグダラのマリアが苦しみ、跪き、叫びながら祈っている。イエスの母であるマリアは、この光景を見て膝から崩れ落ち、使徒ヨハネに支えられている。右側にはバプテスマのヨハネが聖書を開いて立ち、イエスを指さしている。ヨハネの足元の子羊からは血が流れている。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)。彼の後ろには赤い血でラテン語の聖句が書かれている。「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません」(ヨハネ3:30)。

左の端の方では、強く立派なローマ軍の隊長・聖セバスティアヌスが描かれている。彼は、まだキリスト教が違法であった当時、教会で執事をしていた。彼の信仰が明るみになった時、権威者たちは彼を矢で撃ち殺そうとした。その矢もまた、感染症の恐怖を連想させる。その傷は、恐ろしい感染症の症状の象徴だ。しかし、奇跡的に聖セバスティアヌスは、この試練から生き残った。彼が生還したことは、私たちも同じように回復するという希望である。矢に貫かれた体は、神に慈悲を求め続ける祈りなのである。

右端には、広大な砂漠の中で、ただ1人で初めて苦行した修道士・聖アントニウスが描かれている。彼は、野生の獣の姿をした怪物に脅された時も、落ち着いていて、心穏やかであったと言う。襲われて死にかけたものの、回復した。この絵が描かれた時代は、怪物と言えば感染症の脅威を意味していた。彼が1人で砂漠に身を置いたのは、感染症予防のための隔離を思わせる。「聖アントニウスの火」と呼ばれる病気(麦角中毒)は、ひどい痛みと衰弱を伴い、彼にちなんだ名前が付けられている。彼は105歳まで生きた。それは、この時代の怪物に打ち勝って、私たちもまた生き延びられるだろうという希望を与えてくれる。

下に描かれているのは、イエスの埋葬である。彼が私たちの病を全て背負い死んだことで、私たちは癒されるのだ。

この絵が飾られている病院は、疫病など重篤な感染症患者の治療を専門にしている。病気の破壊力はキリストの体に はっきり見て取れる。槍や釘で刺されたのは、感染症のように痛かっただろう。キリストは私たちの痛みを知っているのだ。キリストは私たちの苦しみを共有してくれているのだ。

彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った。(マタイ8:17)

イースターの朝、この絵の中央のパネルが開かれる。パネルの向こうに描かれているのは、イエスの復活と昇天の喜びである。

私たちは今はまだその絵を見ることができない。今私たちが見ているのは暗闇とこの世界の苦しみ、そして絵の真ん中に描かれた、私たちのために苦しんでいるイエス・キリストである。しかし、やがて全ての病いが癒され、全ての涙は拭われるという約束の上に私たちは休むことができるのだ。

「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」(黙示録21:4-5)

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