April 10, 2020 – Roger W. Lowther
これはイタリアの画家、マサッチオ(Masaccio)によって描かれた『聖三位一体』(“The Holy Trinity”)である。父なる神は中央に位置している。子なる神イエス・キリストは十字架にかけられている。聖霊なる神は鳩のように2人の間に降りて来る。
十字架の左に目を向けると、母マリアが、見る者の視線を息子であるイエス・キリストへと誘導するように中央へ向かって手を差し示す仕草をしている。十字架の右側では、使徒ヨハネがこの場面について深く思い巡らすように導いている。十字架の下には、棺(ひつぎ)と人骨が横たわっている。その後ろには「過去の私は現在の貴方であり、現在の私は未来の貴方である」という碑文がある。
この絵は神の恵みの御座を描いている。
ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(へブル4:16)
イエス・キリストの両腕は私たちを抱きしめるために広げられている。その腕は私たちの罪を知っていながら、私たちを許してくれている。イエスは私たちと同じ等身大の人間の形で描かれ、父なる神は私たちにこの宝物を下さっている。
この絵画はイエス・キリストがいる場所に来るように私たちを招いているが、実は私たちはそこに行くことができない。この絵は三次元の空間を、私たちが入ることのできない二次元の壁面に描いているからだ。マサッチオは遠近法を導入した最初の画家だった。
この絵画の製作が依頼されたとき、疫病がヨーロッパで猛威を振るっていた。実際、マサッチオ自身もその病にかかったようで26歳の若さで亡くなっている。彼の功績の一つはこの絵を描き、後世に残したことである。彼は、その時代の窮迫した様子を描写している。私たちは、皆、いずれ死ぬ。私たちはいずれ誰もが、絵画の中の骨のようになる。私たちは感染症の恐怖から逃れられる場所を切望しており、私たちを護ってくれるシェルターを求めている。神の住まう場所に隔離されることを望んでいる。マサッチオの絵はその場所を示しているのだ。神がそのシェルターである、神こそが、その隠れ家であると。
いと高き方の隠れ場に住む者
その人は 全能者の陰に宿る。
私は主に申し上げよう。
「私の避け所 私の砦
私が信頼する私の神」と。
主こそ 狩人の罠から
破滅をもたらす疫病から
あなたを救い出される。
主は ご自分の羽であなたをおおい
あなたは その翼の下に身を避ける。
主の真実は大楯 また砦。
あなたは恐れない。
夜襲の恐怖も 昼に飛び来る矢も。暗闇に忍び寄る疫病も
真昼に荒らす滅びをも。」(詩篇91:1-7)
疫病が、マサッチオの愛したイタリアと全世界を再び襲っている。今日を生きる人々は、この生命を脅かす病気にかかり、感染を広げてしまうかもしれないという恐怖の中にある。この絵に描かれている聖句がこれほど意味を持ち、迫ってきたことはかつてなかった。神は私たちの隠れ家となってくれる。イエス・キリストは私たちのシェルターとなるために用意されたのだ。イエス・キリストはそこへ入るための扉であり、その扉を開く鍵なのだ。私たちがすべきことは、イエス・キリストの招きを受け、その腕の中に入ることだけである。
翻訳 天海和彦
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