50人の殉教者と47人の浪人

April 26, 2026 - Roger W. Lowther

1623年12月4日、江戸の日本橋から町の外の丘まで50人のキリスト教徒が引き回されて行った。その丘で彼らは木の杭に縛られ火あぶりによって処刑された。それでも彼らは神への忠誠心を捨てなかった。それは日本史上最大級のキリスト教徒の公開処刑だった。またクリスマスイブに、同じ場所で彼らの妻と子供たちも死刑された。この光景を想像すると、この炎はまるで恐ろしいアドベントキャンドルとクリスマスイルミネーションのようだ。この出来事は、その後20年にわたって何回も繰り返された。

ほぼ400年後のある寒い冬の朝、私は彼らが歩いた道を辿るツアーに参加した。日本人の牧師を含む数名で雪が顔に吹き付ける中、高層ビルの谷間を通った。参加者はそれぞれの殉教者の名前が書かれた紙をもらった。私は「ペテロ庄三郎」という名前を受け取り、その人になったつもりで歩いた。今日山手線が走るその道は、当時東京湾の海岸沿いの道であった。建物も何もなく、海からの冷たい風が彼らに吹き付けていたことだろう。

8時間後、私たちは旧市街の端に着いた。そこには大きな石の基礎だけが残っていた。体が震えて、足が痛かったが、彼らの苦しみはもっと酷かっただろう。今日、その丘には小さな記念碑しか残っていない。大きなビルの影に隠れている。この歴史を覚えている人は多くはない。

そこからあまり離れていない泉岳寺に赤穂浪士の墓地がある。1703年1月30日、47浪人が江戸の中心から町の外まで、敵の頭を運んで雪の中を歩いた。これは不当に死刑にされた主人の復讐だった。そして将軍の命により切腹し泉岳寺に葬られた。彼らの忠誠心を尊敬して墓地を訪れる人が今日でも絶えない。

私は一月の冷たい風の中を歩きながら、50殉教者と47浪人の二つを比べて考えた。どちらも、雪の中、ほぼ同じ道を辿って、決められた死に向かって、主人への忠誠心を示すために歩いた。50人のキリスト教徒は天の主のために、47人の浪人は世の主のために。今日、前者はほぼ忘れられてしまったが、後者は映画、本、その他のアートで取り上げられ続けている。
私はこの道を歩きながらイエス・キリストについても考えた。キリストも市の中心から町の外まで囚人として歩いた。キリストも木の杭に掛けられ、公的に死刑に処された。

しかし、大きな違いがある。視点の向きが全く違う。ペトロ庄三郎ら50人のキリスト教徒、また、47人の浪人は、自分の上の主のために命をささげた。一方、イエス・キリストは自分の下の罪人のために命をささげた。キリストは自分が罪を犯して歩いたのではなく、私たちの犯した罪を背負って歩いた。イエスは私たちが仕えるべき主人なのに、自分を低くして私たちに仕えた。「ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、…自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで」(ピリピ2:7–8)忠誠心を私たちに示したのである。

キリストの歩みほど忠誠心を示す行為はない。そしてこれほど人類に深く影響を与え、一人一人の人生を完全に変える行為は他にはない。私たちのために死に向かって歩いてくださった方は、他には誰一人いないからだ。
忠誠心の究極は十字架にある。だからイエス・キリストの十字架は美しい。

『隠れた美〜日本で神を見る』抜粋 ロジャー・W・ラウザー

Execution site of 50 Christian martyrs on December 4 & 25, 1623

Graveyard of the 47 ronin

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